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PUMA CLYDE "XLARGE? x mita sneakers" NAT/K.GRN 363564-01プーマ クライド エクストララージ ミタスニーカーズ メンズ

モデル品番:
  • 363564-01
タイプ:
  • MEN(メンズ)
ブランド:
アイテム情報:
情報提供: ミタスニーカーズ

アイテム説明

オリジナルモデルは1968年に開催されたメキシコオリンピックの陸上競技200mにて金メダルを獲得しながらも、黒人への人種差別に対するブラックパワーサリュート(拳を高く掲げブラックパワーを誇示する)と言う政治的パフォーマンスが引き金となり金メダルを剥奪された陸上選手TOMMIE SMITH(トミースミス)氏が、表彰台に上がりパフォーマンスの際に脱ぎ置いたトレーニングシューズが数々の歴史の始まりとされていて、1970年代に入るとNBA(ナショナルバスケットボールアソシエーション)でもトップクラスの人気チームNEW YORK KNICKS(ニューヨークニックス)にて目覚しい活躍で脚光を浴び、コート外でも独自のファッションセンスで当時のファッション誌の表紙を飾り多くのファンを魅了しながら、引退後にも「NEW YORK KNICKS」時代の背番号「10」の永久欠番や「NBA」の「50周年」を記念した「NBA50周年記念オールタイムチーム」の50人の偉大な選手としてバスケットボール殿堂入りの偉業を成し遂げた往年の名プレーヤーWALT FRAZIER(ウォルトフレイジャー)氏の愛称を冠したシグネチャーモデルCLYDE(クライド)へとストーリーは発展。

当時インターナショナル品番のみでモデル名すら無かったこのブラッチャー(外羽)タイプのスウェードモデルがアメリカ市場への進出と「WALT FRAZIER」氏の偉大な功績によって、現在まで続く「Puma」コートモデルの礎を築き、同氏との契約終了後にも継続生産され最重要な逸足に昇華されました。

また、80年代のオールドスクールヒップホップシーンやスケートシーンと言ったサブカルチャーとリンクしながらファッションアイコンにも多大な影響を与え、スタイルや世代、そしてジャンルに囚われる事無く、世界中のスニーカーヘッズに愛され続けているマスターピースとして今も尚、その輝きは増すばかりです。

その後の2007年にはmita sneakers(ミタスニーカーズ)とのコラボレーションモデルとして「WALT FRAZIER」氏の肖像画を使用したオリジナル$札紙幣を高解像度デジタルプリントで落とし込み具現化されたMITA CLYDE(ミタクライド)や日章と旭光から着想を得て具現化された「MITA CLYDE」第2弾モデルがmade in JAPAN(メイドインジャパン)によってリリース。

2015年にはスニーカーカスタマイズのパイオニアとして世界中のスニーカーフリークを魅了するシンガポール発のスニーカーカスタマイズ集団SBTG(サボタージュ)とタッグを組んだCLYDE CONTACT "First Contact"(クライドコンタクトファーストコンタクト)が発売されたのも記憶に新しい所。

いつの時代でも輝きを失う事の無いアイコンモデルをベースに、1991年に設立されたLOS ANGELES(ロサンゼルス)発のストリートブランドXLARGE?(エクストララージ)と、数多くのブランドとのコラボレーションモデルや別注モデルのデザインを手掛けるだけでは無く、世界プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐に渡りスニーカープロジェクトに携わり具現化し続ける国井栄之(クニイシゲユキ)がクリエイティブディレクターを務める「mita sneakers」のコラボレートモデルCLYDE "XLARGE? x mita sneakers"(クライドエクストララージxミタスニーカーズ)がリリース決定。

2016年に25th ANNIVERSARY(25周年)を迎えた「XLARGE?」のアニバーサリーイヤーを記念して制作された今コラボレーションモデルは「XLARGE?」のブランドヒストリーを紐解き、創立にも携わったとされるブルックリン出身のヒップホップグループBEASTIE BOYS(ビースティボーイズ)のKing Ad-rock(キングアドロック)ことADAM HOROVITZ(アダムホロヴィッツ)氏が、1992年に発表されERIC HAZE(エリックヘイズ)氏が手掛けたヴァイナルジャケットとしても有名なCHECK YOUR HEAD(チェックユアヘッド)上で着用していたSUEDE(スウェード)のカラーリングを「CLYDE」に落とし込んでいます。

また、70年代に生産されていたユーゴスラビア製の「CLYDE」に見られるディテールを随所に散りばめシュータンラベルに使用されていた「MADE IN YUGOSLAVIA」のフォント(文字)を今コラボレーションの制作者であるXLARGE?(左足)とmita sneakers(右足)に変更しサイドパネルには当時使用されていた筆記体の「CLYDE ロゴ」を使用。

更に2016FALL/WINTERシーズンより「CLYDE」に搭載されクッション性を向上させたカップインソール(中敷き)仕様にアップデートする事でシューズと足の一体感を向上。
そのカップインソールには「XLARGE?」と「mita sneakers」のロゴマークがクラシックなグラフィックと共に落とし込まれ、エクスクルーシブモデルならではのこだわりが詰め込まれています。

更に今回はコラボレーションモデルにフックし、1991年設立当初の初期ロゴを採用したコラボレート「Tシャツ」も同時リリース。
「Puma」のブランドフィロソフィを継承しながら「XLARGE?」のバックボーンと「mita sneakers」ならではのディテールを紡ぎ上げた今コレクションから、コラボレーション本来の意味や意義を感じ取って見て下さい。

参考元:ミタスニーカーズ

1948年、ダスラー兄弟によって創業された「ダスラー兄弟社」から独立した、ルドルフ・ダスラー氏によって創業。
ブランド設立以降、オリンピックやワールドカップなどの世界的な大舞台で、常に「PUMA」のシューズは大活躍しています。
特にサッカーでは、ペレ、マラドーナなどの有名選手をサポートし、高い地位を得ることに成功。
古くから一流アスリート達をサポートし、そして彼らに愛された歴史は、そのまま「PUMA」の歴史ともいえます。
また一方では、多くの有名アーティストから各界の著名人に至るまで愛され続ける「クライド」や「スウェード」を生み出し、さらに近年ではジル・サンダーやミハラヤスヒロ等、数々のファッション性の強いコラボレーションを手掛けるなど、多面性も魅力となっています。

1991年、イライ・ボナーツ氏とアダム・シルバーマン氏によって、ロサンゼルスにてスタート。
また、ビースティーボーイズのマイクD氏も創設に携わっていることも知られています。
ブランド名の由来は、1960?1970年代半ばに生まれた世代を表す“Generation X(ジェネレーションエックス)”と、大きく生きるという意味の“Iive Large(リヴラージ)”を掛け合わせたもの。
ワーク、ヒップホップ、スケートボードの要素を取り入れた、オリジナルティー溢れるストリートウェアをリリース。
有名なブランドアイコンであるゴリラマーク「O.G.」は多くの人に親しまれています。

1991年11月、LAのヴァーモント・アヴェニューにXLARGE® STOREがオープン。このショップから発信されるファッションとカルチャーが、'90年代のLAしいてはアメリカ、さらにワールドワイドなストリートカルチャーをリードしていきました。ブランドをスタートさせたのは、イライ・ボナーツとアダム・シルバーマンという建設学校を卒業したばかりの若者でした。

90年代のLAは、ヒップホップやグラフィティが発祥とされるNYとは全く異なる形態で発展し、独自のスケートボードや音楽カルチャーがミックスし、新たなストリートカルチャーが生まれようとしていた時代でした。イライ、アダムの2人に、Beastie BoysのマイクDが加わり、「XLARGE® STORE」は強力な個性を放つこととなりました。

「XLARGE® STORE」は、当時としては画期的な商品構成で、ベン・デイヴィスやカーハートといったワークウェア、アディダスやプーマといったオールドスクールスニーカーなどを取り扱い、現在のセレクトショップの価値観を築きました。

そのショップのオリジナルブランドとしてスタートしたXLARGE®は、「普段着ではなく、ファッションとして実用なウェアを表現する」というユニークな視点を提示し、MUSIC、ART、SKATEBOARDINGなどのカルチャーを融合することで、オリジナルのファッションスタイルを生み出しました。現在も、設立当時の力強さを失うことなく、ストリートウェアの革新者であり、パイオニアであり続けています。

XLARGE BRAND HISTORY

公式サイト

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