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ブランド説明

スイスのル・サンティエに拠点を置く、19世紀前半創業の高級時計マニュファクチュール。
1833年、アントワーヌ・ルクルトが、スイスのル・サンティエに時計製造の小さなアトリエを開いたのが始まり。
1844年、アントワーヌは世界で最も正確な測定器であるミリオノメーターを発明。このミリオノメーターは、半世紀以上にわたり測定基準としての役割を果たします。
1847年、時計の巻上げとセッティングに鍵を必要としない、画期的な機構を発明。
1851年、ロンドンで開催された世界初の万国博覧会で、ゴールド製のクロノメーターや他の多くの開発実績が認められ、金メダルを授与されます。
1858年、アントワーヌの息子であるエリー・ルクルトが後を継ぎます。
1866年、アントワーヌと息子のエリーはジュウ渓谷に初の本格的なマニュファクチュールLeCoultre & Cieを創設し、時計製作に関わる数多くの技術を一つ屋根の下に集結させます。
1870年、LeCoultre & Cieは、時計史上初めて複雑機構を備えたキャリバーを少量生産します。これ以降、マニュファクチュールでは、さまざまな複雑機構を搭載した500種類を超えるキャリバーを開発しています。
1888年、マニュファクチュールで働く従業員は500人を数え、LeCoultre & Cie は「ジュウ渓谷のグランド・メゾン」として知られるようになります。またこの頃、ルクルト製ムーブメントはスイス、フランス、ドイツの一流時計メーカーが製造するほとんどの懐中時計に搭載されていました。
1900年、エリー・ルクルトの息子であるジャック・ダヴィド・ルクルトが、時計製造の指揮をとることになります。
1903年、パリに拠点を置きフランス海軍向けの時計を製造していたエドモンド・ジャガーは、スイスの複数の時計職人達に対し、彼が発明した超薄型キャリバーを開発・製造してほしいと注文をつけます。ジャック・ダヴィド・ルクルトは、情熱を持ってこの仕事に専念し、超薄型懐中時計のコレクションを製作。これにより、1907年には、ルクルト製キャリバー145を搭載した世界で最も薄い懐中時計を製作します。
1925年、二層構造によって小型化と精度の両方を実現し、エレガンスと精密な時計製造を融合させたデュオプランを発表。
1928年にジャン・レオン・ルターが発明し、その後ジャガー・ルクルトが開発・製造したアトモスは、永久に動き続ける置時計として有名です。この時計は温度のわずかな変化をエネルギーに変えるため人の介入を必要とせず、ほとんどエネルギーを必要としません。
1929年、世界最小の機械式ムーブメント、キャリバー101を発表。74個の部品で構成されるこのキャリバーは、重さが1グラムほどしかありませんでした。1953年には、英国女王エリザベス2世が自身の戴冠式でこのキャリバー101を搭載した時計を着用しました。
1931年、ケースが反転し、時計のガラスを保護できる仕組みとなっているレベルソを製作。これは、ポロ競技の際の衝撃に耐えることができる時計を製作して欲しいとい要望に応えたもの。アール・デコ調のクラシックなスタイルによって単なるスポーツ・ウォッチという枠を超えたレベルソは話題となり、現在では豪華な時計製作で希少価値の高い憧れの時計の一つとなっています。
エドモンド・ジャガーとジャック・ダヴィド・ルクルトの協力関係とその結果生まれた友情は、時計製造の世界にさまざまな素晴らしい作品を生み出し、こうして1937年ジャガー・ルクルトブランドの誕生に至ります。

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